今を輝く天商卒業生でユニークな仕事に就いた人の考え方・きっかけ・生き方・夢を皆様にお届けします。
「何がしたいんだろう?」と迷っている人「どうやったら夢が実現するのか?」と考えている人に読んでもらい、才能溢れた多くの人の”自分の可能性”について考える機会となることを願っています。あるいは、記事を読み終えた時に「応援したいなあ」「頑張ろう」「誰かに自慢しよう」「自分の子供(孫)に読ませたい」という気持ちになっていただければと思っています。
中川 博之さん(高49回)
1997年天商卒業。桃山学院大学に進学。中国留学を経て香港で貿易関係の仕事をし帰国。
2008年Yukiプランニングを設立。2011年関西コレクションを設立し、その後モデル育成事業を展開。
天商との出会い
天商を志望校に選んだのは、情報システム科には一人一台パソコンがあるという理由でした。当時の担任が澤井先生でプログラムについてご指導いただき、それが現在の私の基礎となっています。その後、桃山学院大学で経営学を学び、第二外国語に中国語を選択しました。勉学に励んだ結果、在学中に1年間の交換留学生として中国北京へ留学しました。留学生の交流だけでは語学の中国語はマスターできないと思い、天商で野球部のキャプテンをしていた経験を活かし、中国の野球チームに飛び込みました。そのさなか、実家の建築会社が倒産してしまいました。当時、弟は私のためにその事実を伝えず、アルバイトをして仕送りを続け私を支えてくれました。振り返れば、今までの自分の人生の中で、天王寺商業に入学できたという事が大きな分岐点であり、また、当時、担任として支えて下さった澤井先生や、家庭が大変な中、学校に通わせてくれた両親と弟に改めて大きな感謝の気持ちを持っています。
やりがいのある仕事
大学卒業後、香港の会社に就職し、日本に帰国後、語学ができるので建築関係の会社に就職し、海外から部材を調達する開発部に携わりましたが、上司の顔色ばかりを気にして仕事をすることに嫌気がさし退社。
弟(康之)が経営する飲食店に入社、得意のITを駆使し集客に成功。弟は現場の指揮官&プロデューサー、私は裏方としてのディレクターとして仕事にのめりこみました。社員の応援もあり大阪、東京と合せて50店舗に拡大しましたが、年月を経るほど共に支えてくれた幹部社員が退社することに悩み、彼らが働ける会社を模索し、その運営経験を通して、ITを活用したマーケティング戦略の重要性を学び、2008年「株式会社Yukiプランニング」を設立しました。
飲食業は徐々にやる気のある社員に譲っていき、飲食業からは撤退しました。飲食店経営で培ったマーケティング戦略支援を軸に、その多店舗展開のブランド戦略をFacebookと融合させた「Facebookブランディング」という新しい戦略理論を提唱。
ITを扱う企業でありながら、顧客接点を重視した独特のアナログ的な経営で成果を上げ、会社の取り組みが、NHK番組や新聞、経営誌にも取り上げられました。
関西コレクション
「何かみんなをワーッと感動させることがしたい!」と思っている最中、ファッションショーを見に行く機会がありました。若者が熱中しているのを目の当たりにし2010年「株式会社関西コレクション」を設立。最初は手探りで資金もない状態でしたが、「日本初のドームでファッションショー!やるなら大阪(京セラ)ドームで」ということは決めていました。そこで大阪ドームと交渉し、使用料など協力して頂き2011年に第1回目の「関西コレクション」を実現。当
初は5万人入る会場に1万人程度しか集まらなかったのですが、回を重ねるごとに動員数を増やし、直近の2019年は4万4千人という全国一の集客数を達成。第1回目から述べ53万人以上を動員してきたことになります。
私は主にWeb・SNSでのプロモーションや、会場内でのプロモーションなど、デジタルとリアルな会場でのマーケティングを担当し、関西コレクションの集客面に貢献。
2014年モデルスクール「関西コレクションエンターテイメント」を設立し、モデル育成事業を開始しました。
これから
将来のビジョンとしては、まずは「イベントプロデュース」と「スクール事業」です。約1,200名のスクール生たちには技術だけでなく生涯無駄にしない知識を提供していくことを基盤に、世界に羽ばたいていく人材を育て、世界に通用するエンターテイメントができるモデルやダンサーを養成しています。
これから大阪では、大阪万博やIR(総合リゾート開発)も設置される可能性があり、ますます世界から注目される都市になってくると思います。その時に、日本の新しいエンターテイメントを披露出来る、そんな人材を一人でも多く排出していきたいと思います。
後輩に伝えたいこと
みなさんにお伝えしたいのは、今を大切に過ごし全力で立ち向かうことです。目の前のことを一生懸命やればどこかで必ず役に立つ!その時の努力は・(点)です。それが繋がると線になり面へと広がります。そのために新しい環境に飛び込むと、環境が意識を変え、意識が行動を変え、新しい結果を生むことにつながります。私は留学では日本語を一切話さず、中国語で通そうと心に決めて学びました。「私は意志が弱い!」と自覚がある人は、新しい環境に身を置くことをぜひやってみてください。
もうひとつ、「日々の積み重ねが未来を作る」。この言葉を私はとても大切にしています。
正直なところ、高校の勉強なんてテストの点数のためでおもしろくはないでしょう。でも、それらがすぐに何かにつながらなくても、後で必ず自分のためになります。私も大学時代に中国語を必死でがんばったからこそ、中国でイベントを開催する事ができました。何かを継続して努力する、自分との約束を守り続けるということが、未来の自分自身のためにも大切だと思います。
足利〔大井〕紫津子さん(高44回)
平成4年天商卒業。住友大阪セメントに入社、結婚、出産、子育て、普通の主婦の生活から32歳でアームレスリングを始める。2012年、オールジャパンアームレスリング選手権大会に初出場し初優勝から7連覇。アーノルドクラシックアジアで優勝。2019年1月女性専用のジム「ZERO-腕 大阪」をオープンする。
天商に入学した1年間はどのクラブにも属さず帰宅部でした。2年になって園芸部に入部しましたが部活動は週1回か、月に一度くらいでした。思い出に残る先生は七岡先生、辻村先生、吉村先生です。
天商を卒業後、住友大阪セメント(大阪本社)に入社し、調達部で8年間勤務しました。そして結婚、子育ての毎日、子供が5歳と3歳の時、テレビでアームレスリング大会の参加者募集を知りました。運動が得意なことと、女性との腕相撲は負け知らずだったので「これやったらいけるん違うかな!」と思い切って出場しました。3年間大会が開催されましたが2位で終わってしまい女性に負けた口惜しさが残りました。
別の大会に出場した時、今の師匠であるアームレスリング世界チャンピオンの宮本真治さんに「全日本チャンピオンという肩書を持った人生を歩んでみませんか?チャンピオンを目指すなら指導するよ」と声をかけて頂きました。以来、月に一度、岡山の道場に通い師匠のご指導の下、練習を積んでいます。
1年後の2012年オールジャパンアームレスリング選手権大会に初出場し、女子ライトハンド&レフトハンド無差別級で初優勝しました。アームレスリングに理解が深く背中を押してくれた父が大会の前に亡くなり、優勝の瞬間を見せられなかったことがとても残念でした。その後2018年まで7連覇してきました。4年くらい前に首の怪我をしてから、左手に力が入らなくなり以後、右メインで戦っています。
また2016年8月、香港で開催されたアーノルドシュワルツェネッガー主催のアーノルドクラシックアジアで優勝しました。同年12月、韓国silvis大会で優勝してアーノルドクラシックアメリカの出場権を得て、2017年アーノルドクラシックアメリカで4位を獲得しました。アームレスリング世界大会は10日ほど家を空けなければならないことと、費用の面でかなり厳しいです。
6月23日埼玉で行われたオールジャパンアームレスリング選手権大会は精一杯やりましたが結果は準優勝となりました。たくさんの方々に応援して頂いたのにとても悔しいです。必ず、もっと強くなります。
今、盲学校や障害者にアームレスリングを体験して頂くボランティア活動をしています。
以前はアーム台を駐車場の奥に置いていましたので、先に車を出して準備しないと練習ができませんでした。夏は暑くて蚊に刺されたり、冬は寒くてアーム台の前に立つことが大変でしたのでアームレスリングに重点をおいた練習を続けるために器具が揃った施設が必要になりました。
今年1月、大阪市生野区生野東4-7-15生野銀座商店街に女性専用ジム『ZERO-腕 大阪』をオープンしました。今は延べ10名くらいの方が水曜日夕方から練習に励んでいます。私のジムからアームレスリング西日本大会に初出場して準優勝した人もいます。
体を動かすのが好きな人、結婚や出産を経て何かを始めてみたい人、私のように機会がなくて運動したくてもできなかった人たちに利用してもらって、「一歩を踏み出すきっかけになれば」と考えています。
アームレスリングは誰が見ても勝敗がすぐにわかり、長く続けられる競技です。51歳の師匠は今年の全日本チャンピオンになっています。私も上を目指して長い間現役で頑張りたいと思っています。