〔Ⅰ〕昭和15年5月26日午後7時14分 薫風颯爽と吹き来る中を一路東へ。
真夜中だといふのに、嬉しさ余って目が冴えて仕舞ふ。
窓外はまだ真暗。時々電灯が飛ぶようにかすめてゆく。
最初下車した所が小田原で、それより箱根電車で梅屋旅館に着き、荷物を預けてバスに乗り、芦ノ湖に出て湖上汽船乗船し湖尻に着く。それよりハイキングの如き様にて大涌谷に着き、それより強羅公園を経て旅館に帰る。
清湯張る広大な湯船で伸び伸びとつかり、旅館の待遇よろしきを得て心よく旅行第一夜の寝に就く。明ければ5月28日朝8時に梅屋を出て、箱根電車に乗ったが途中二班と出会う、とても懐かしかった。それも僅少な時間だ。
小田原に再び来てみれば、箱根電車の過失で汽車は出た後。しかたなく次の汽車を待つ。その間高井君に一枚写してもらふ。汽車で藤沢まで乗り込んだ。
江ノ島電車に乗り、江ノ島に着く。浜で撮影後自由解散し、江ノ島神社に参詣し、去って乗船場より洞窟行きの船に乗り(勿論この舟は洞窟しか行かぬのだが)洞窟をローソク1本で10人拝見し、ローソク係の人を驚かし、又舟で帰って、それより長谷の大仏を参詣する、といふよりも見にゆき、大仏の中にも入った。それより鎌倉に行き、源家の氏神八幡宮に参り、有名な大銀杏を見れば、白刀一閃、源家滅亡の故事が偲ばれて、そぞろに哀愁を憶える。
〔Ⅱ〕八幡宮参拝後自由解散となったが、朝の汽車の乗り遅れ故に充分時間が無く、皆バスや馬車を利用して名所見物に行ったが、僕等森、小西、川嶋君4名はブラブラと歩き鎌倉の町を見、通りで鎌倉を参拝し、小生は子どもを見つけると江戸っ子弁の練習に大童となった。省線にて、その昔の幕政都市を後に憧れの帝都に向かひ、途中大船駅で松竹のスタヂオの白い屋根を遥見した。汽車が愈々東京に近くなり、東洋一の大貿易港横浜を通過すると、想ひは青赤のネオンきらめく銀座、浅草、新宿等、生まれて初めて見る都市をあれやこれやと空想し、遂に夢のパラダイス東京に入った。
品川駅を下車して、一歩外へ出ると都会の香が懐かしく鼻に入った。赤青黄のゴーストップで、それを見て渉らなければポリ公に叱られる都会。
我等は、先輩諸氏の出迎えを受けて駅前の京浜ホテルに入った。各自室が割当てられると、今晩これからすること行事が次から次へと思い出されて、楽しくてとてもじっとして居られなかった。夕食入浴後、銀座へ出た。
青春の喜びにハチ切れさうな若い青年男女が、あらゆる美装をこらして、颯爽と往き来して居る。一日に一回銀座に出ぬと寝むれぬ連中らしい。
〔Ⅲ〕女中に起こされて5月29日の朝が来た。
浅草のりの美味に舌鼓を打ちながら朝食をしたが、女中曰く大阪の人間は暢気だとゆう、決して、落ち着いているとはゆわぬ。大阪弁を男がつかうと、にやけてやらしいとゆうので、東京弁を女がつかうと生意気で、上品さが無いと、しっぺ返しに答えてやった。
ここにもお国自慢が生ず。
午前8時に東京駅に集合して宮城に参り、聖壽の萬歳を壽ぎ奉った。
宮城の櫻田門の方から抜けて霞ヶ関通に出て、首相官邸、警視廰、外務省、内務省、海軍省の前を通る。それより議事堂に至り、解散して靖国神社に集合し、初めて市電に乗り、電車賃50銭で釣りをくれといったら、釣りは無いといって叱られた。
参拝の後解散して明治神宮に集合したが、その間ハイヤーを無理した。赤坂離宮の辺をドライブしたが、何ともゆえぬ。さすが帝都だと思った。
明治神宮を参拝後自由解散となり、一度原宿から省線で品川のホテルに帰った。旅館に帰り昼食を辰巳や森君と隣のチャン料理店ですまし、ハイヤーで上野公園へ行き、西郷像、彰義隊の墓等に参り、目的は沢山あったが、さてといふとどこから行ったらよいのか見当がつかず、ままよ東京は今日一日で来ぬというわけは無いのだから、それは又次の見物場所に残して置かうと勝手な計画を立て、東京に来てボートに乗るなんて誰も気がつくまいと、自慢し乍た不忍池に出てボートに乗った。
東京の池も大阪の池も変わりはないが、この池はなんだか怪物が出てきそうな気がした。
帰り松坂屋に寄り買い物をして帰った。そして、辰巳君と二人で泉岳寺に参り、品川駅で第二班の到着を待った。
晩は第二班の待遇が良く、我等の晩飯は相当遅くなったので銀座にも出られず、近所の茶店で腐ったミツ豆を?べて滞京第二夜の幕を閉じた。
〔Ⅳ〕午前8時に第二班と再び分かれて浅草に行き、一寸八分・観音様に参詣したが、恰も四天王寺に参詣している懐あり。
皆の集合するや早速東武鉄道に乗り日光に向かった。
晝食を車中ですまし晝寝する事有余分、日光に着き各所を見学し参詣したが、お守りの販売方法には、大阪の大商人の我々も負けるくらひだ。
恰度僕等が往った時は、陽明門の塗り替え中だった。眠り猫や鈴鳴り殿にものぼり、化燈籠のある二荒神社に参拝し、宝物殿に上りしませて、集合の後馬返しに向ふ。
そこよりケーブルに乗り、若いガードガールの声を聞きつヽ明智平に着く。
そこよりバスに乗り、降りて泉屋旅館に着く。
みやげの買物にいそがしく、旅行中最後の旅館故にクラス会の開催を先生に申上げたが、時局柄許されなかった。
晩、先生の方より羊羹を下さったが不味かった。
犬の遠吠えがする。
〔Ⅴ〕皆の話し声に目が覚めた。
5月切日の黎明だ。
少し早かったが起きて洗面し、洗面所より男体山を見上げると山頂わずかに雲が降りていた。
朝食の後、集合までに華厳の滝に行く。途中白樺の樹右に左に鬱蒼たる樹蔭の道を辿り鶯の名声に耳を喜ばす。
此れより向う行く事を禁ずの札を超えて華厳の瀧を見る。藤原操を思い出す。
集合して後、バスに乗り七廻り八曲りをす。
早いもんだ、昨日乗ったバスは往きだったのに今は早や!明智平で晝食をして電車に乗る。
あまり熟睡しすぎて散々な目に遭う。
午後4時頃浅草に着き10時まで自由解散となる。
先ずは地下鉄で東京駅に行き、小荷物預り所で荷を預け、手ぶらにて森、小西の三君と銀座に出て夕食をすまし銀ぶらして姉のみやげものを買ひ又浅草に行って映画を観た。
10時に集合すると、出生する兵士に出会った。
皆重そうな背嚢を下に置き、名残を惜しんで家人と話をして居られた。
午後11時10分の汽車で懐かしの東京を後にした。
ゴトンゴトン、何時の間にか眠った。
〔Ⅵ〕午前8時近くに熱田に着き熱田神宮に詣ず。
興亜奉公日(6月1日)故参詣者が陸続として絶えず。
それより市電で名古屋城前に行く。集合して名古屋城を拝観した。
清正の用意のよかったが、今猶種々の点で表れている。
愈々これで旅行も終わった。そう思ふと一度に大阪が恋しくなり、家人が懐かしくなって少しも早く帰りたくなった。
午後5時近くなって京都を過ぎ、大阪が近くなった。
家人の迎える顔が目に浮かぶ。
皇紀2600年 燈火親しむ秋 (16歳)
旧29回 網田秀太郎 記