最高齢で100周年に寄付をしていただいた三浦先輩のお話を伺いました。
Profile
明治40年3月11日生まれ
父の仕事(警察官)の関係で東京より阿倍野区松虫に転居。天商を受験
卒業後、徳島工専工学部(現徳島大学)入学。
東洋ベアリング(現NTN株式会社)に入社。1962年ニューヨーク勤務
ドイツ・チェコスロバキア等海外支店の基礎を作られる。
スーツ姿でお迎えして頂き、とてもダンディーなお姿に驚きました。。
健康の秘訣はとお聞きしましたら冒頭の「くよくよせんこっちゃな!」とおっしゃいました。
105歳の今でもご自身の歯が22本、食事もおいしく好き嫌いなく召し上がるそうです。
毎朝、日経新聞を端から端まで読まれ、頭と体を動かすことが大事とおっしゃいました。
自彊術(じきょうじゅつー31動作のある大正時代からの健康体操)の市販の免許を持ち、100歳までボランティアで教えられていました。
10年前、脊髄の圧迫骨折で生まれて初めて入院されましたが、1ヶ月で退院されたそうです.
30歳の時、キリスト教の洗礼を受けられ、その時から禁酒・禁煙。75年間毎週教会へ。今は次女の愛子さんのお車で行かれているそうです。
天商時代の思い出
小学校から天商卒業まで皆勤賞。
クラブは給品部(教材やパンの販売)
特に、下河内十二藏校長の欧州視察の話が印象的だったそうです。英会話やタイプライターの授業が就職後とっても役に立ったとおっしゃっていました。
天商卒業後の進路
卒業後、徳島工専工学部機械工学科に進み、卒業後は東洋ベアリング(現NTN株式会社)に勤務。
1962年ニューヨークに転勤。単身赴任のはしりだったそうです。
その頃はハワイで給油、サンフランシスコ着だったとか。
ドイツやチェコスロバキアで海外支店の発足に尽力されました。まさしく東西万里です。
後輩達に…
東西万里=世界中を駆け回りなさい!
インタビューを終えて
三浦先輩の遠い先祖は三浦一族につながるそうです。三浦大介義明は頼朝に味方した武士で89歳で自刃。大介公の17回忌にあたる建久8年、頼朝が義明の菩提寺を訪れ、その忠節を謝したこともあるそうです。89歳で亡くなった大助公に17を足して、106歳の長寿を保ったことから「鶴は千年、亀は万年、三浦大介百六つ」の祝い詞となったと教えていただきました。夕べ古城~もしっかり記憶され、耳は少し遠くなられましたが、ご自分で歩かれ、娘さんとご夫婦に間違われる位の三浦先輩ですので、まだまだ長生きされることと思います。
取材 高25回 岡本まゆみ
高30回 山本邦子